情報とプライバシー

一般財団法人日本データ通信協会 理事長 酒井 善則

 10年以上前のことであるが、自宅に電話があり家内がでたところ、ご主人がXX駅にて痴漢容疑で捕まっていると言われた。家内が主人は出張中でXX駅付近にはいないはずと答えたところ、すぐ電話が切れた。同時期に友人の奥様にも同種の電話があったが、勤務先として前職の企業名を言われたので、すぐ詐欺だと気づいたとのことであった。名簿等の漏えいにより、この種の経験を持つ人は多いだろう。前職の放送大学では、対面式のスクーリングでは出席確認のために学生に名簿を回覧することを禁じている。通学生の大学と異なり、お互いに必ずしも面識の無い学生同士間で氏名、学籍番号を秘匿するためである。ただ、最近個人情報保護意識が過剰になり、必要な名簿の作成を行っていない場合もあり、政府の個人情報保護に関する基本方針でも、過剰な反応には注意を呼び掛けている。

 インフォメーション(情報)とインテリジェンスは異なるが、日本語の情報は“中央情報局”のように、両者の意味に使われている場合もある。単なる情報から価値ある知識を
得る行為はインテリジェンスに近いかもしれない。いわゆるスパイ活動で情報の獲得、分析を行う部局は情報局でなく、諜報局の方が相応しい。通信技術の基礎となっている情報理論によると、推定できない事象が明らかになった場合、得られる情報量が大きいと定義されている。情報理論は確率論をもとに定義されているが、直感的に考えても、私の生年月日がわかっている場合、年齢情報によって得られる情報量は0である。また私の顔が知られている場合にはある程度年齢も推定できるため、年齢の情報量は小さいが、名前しか知られていない場合には、年齢がわかることの情報量は大きい。

 一方、インテリジェンスの結果得られる情報の価値の観点では、私の人間ドックの結果がわかることと、政治家の結果がわかることでは、大きく異なる。価値ある情報の方が
漏えいした場合の影響が大きい。プライバシー意識には国による差があると言われているが、これも情報の価値の大きさが国により異なることに対応すると考えられる。情報量ではなく価値を指すと、新しい尺度が必要になってくる。情報の信頼性が関心を集めたこともあった。情報自体はネット上に氾濫している現在、情報の信頼度を推定できれば大きな意味がある。

 プライバシー対策の目的は、個人情報漏えいによる損害を最小限にすることである。ただ、全ての個人情報を秘密にすれば安全ではあるが、漏えい防御にかかる費用、その情報を秘密にすることにより社会の便益を失うコストも大きい。私の専門である工学の役割は、コスト一定条件下で、最小にすべき目的量を最小化する手段を考えることである。個人情報の情報量とともにその価値、信頼性等を定量化したものを保護対象の情報量と定義して、コストを小さく、保護対象の情報漏えい量も小さい社会的しくみを構築することが重要と思っている。

(初出:機関誌『日本データ通信』第215号(2017年7月発行))