デジタルの陥穽(かんせい)

トラストサービス推進フォーラム 最高顧問
中央大学 教授
大橋 正和 氏

「Society 5.0」はデジタル情報が我々の日常を覆い尽くし、日常のあり方にこれまで以上に深く関与する社会である。そこでは、政策が有効に機能することを期待する利点が数多く存在する一方で、その裏腹にアナログの時代にはなかった課題にも対応する必要が出てくる。中央大学教授でトラストサービス推進フォーラムの最高顧問を務める大橋正和氏に「デジタルの陥穽」というテーマで講演をいただいた。

デジタルの陥穽

 事務局からデータの陥穽(かんせい)というテーマをいただいたので、今日はそうした観点で少し話をしたい。
 「陥穽」とは、罠や落とし穴のことである。「陥穽」という言葉を用いたもっとも有名なテキストに、戦後日本が向うべき方向を示すために丸山政男氏が1952年に著した「『現実』主義の陥穽」という本がある。これは大変有名な本だが、現実というものが所与性、一次元性、時々の支配権力が選択する方向などにより画一化する傾向があることを指摘し、20世紀が○か×かなどの二値論理で成り立っていたのに対し、これからの世の中は多元主義や多様性を持たせなければならないということを論じている。
 ダイムラーベンツ社は1995年ぐらいから自動運転に取組んでいる。
 人間が運転する場合やナビゲーションシステムを実行する場合にはそれほど多くの情報は要らない。赤信号を見るなどといった際に、人間は情報の取捨選択をしている。これに対し、自動運転を行うためには莫大な情報を取得し分析しなければならない。例えば人間を認識する、信号機を認識するなどということもそうだし、いろんな方向性を含めて車線を認識することも必要になる。ダイムラーベンツの車にはミリ波のレーダーが前方と4隅についており、車線変更時などブラインドスポットに他の車が来た時にはハンドルが切れないなどの機能が備わっている。そのときに日本の開発陣の発想だとハンドルを切ることを選択するのだが、ベンツはハンドルを切るのではなく、両輪のブレーキを片側だけかける。これはF1で採用している非常に高い技術である。
 ダイムラーベンツではこうした試みを1995年からスタートし、1998年には一般の車にその成果を導入し始め、2013年にはほとんどの高級車にミリ波のレーダーを装備している。各国で100万キロ以上の走行実験をし、それぞれの国の法規に合わせるためのデータを吸い上げて、本社ですべて分析を行い、プログラムを改良している。すでに自動パーキングシステムなどを様々な車に搭載している。

アナログとデジタル

 デジタルそのものは、例えば人間には理解が出来ないとか、「手の指の」英語の形容詞であるとか、標本化の定理、エントロピー、多元性などいろいろな考え方がある。デジタルアーカイブだとかジレンマだとか記憶だとか、そういうものがある。

インターネットとソーシャルメディア

 インターネットとソーシャルメディアの話があるが、ネットワークの機能と情報生成の考え方ですね。それから情報社会の文化生産、消費、経済基盤となり、流通する情報量は圧倒的規模になっている。なぜそうなったのを考えると大きな理由の一つに「Cloud」と「Crowd」の影響力がある。主として2006年ぐらいからソーシャルメディアを含めたサービスが大規模なデータセンターを利用して出てきた。それ以降、iDCは巨大化し、仮想化している。
 ソーシャル・メディアをマスメディアと同じように扱うことが多いが、ソーシャルメディアにはマスメディアとは異なり選好性がある。自分の好きなものを選び、いやなものは全て捨てることができる。ソーシャルグラフには自分の気に入った人しか入っていない。自分で気に入った人を選んでいく。それがマスメディアとの大きな違いである。そこを理解しないでソーシャルメディアを利用するということが、とくに日本の企業の利用で起こりがちである。

デジタルメディア環境と情報量

 デジタルメディアがどの程度の情報を扱い得るかを考えてみよう。
 アメリカの議会図書館にどれぐらいの情報量があるかというと2800万冊ぐらいで、これは単純計算をすれば28テラバイトで落とせる程度である。さらに約1400万枚の写真があるが、これを1枚1メガバイトに圧縮すれば14テラバイトで蓄積できる。一番大きいのは地理学部門で550万枚以上の地図がある。これは275テラバイトぐらいである。さらに約100万本の映画とテレビの番組があり、仮に1本1ギガバイトだと仮定すれば、1000テラバイト程度である。このぐらいなら今ならそれほど大きい量ではない。個人ですら、4テラバイトのハードディスクを100ドルで買うことができる。その程度の投資である。1テラバイトでおよそ100万冊の本または約1000時間のビデオを保存できる。普通の地域の公立図書館が30万冊の蔵書を有しているとすれば3テラバイトで落とせてしまう。人類が2千年までに記録した情報は12エクサバイトだと言われている。デジタル化をしてしまえば、ほとんどの情報を容易に入手できるようになるのである。

21世紀には情報に対する考え方が変わった

 21世紀になり情報に対する考え方が変容している。1998年に米国証券取引委員会(SEC)が「OATS(Order Audit Trail System)ルール」(ネットワーク取引自主規制・3秒ルール)を作った。我々がタイムビジネスを始める際に指標の一つとしたものである。
 2002年にはサーベンス・オクスリー法(SOX法)が制定された。これらが従来の規制と異なるのは、それまでは取締りを行う者が証拠をそろえて立証しなければならなかったのに対し、取引の正当性を自分で証明しなければならない点である。つまり、自分で情報を集めてきて「私は正しいことをしている」と主張しただけでは受け入れられない。正しいことを第三者が証明をする必要がある。タイムスタンプにはそうした意味合いがある。
 かつてエンロンの不正を暴いたのはメールサーバに保存された電子メールだった。米国では電子メールに対して保存義務がある。そういう意味では、さまざまな証拠をどのように集めるかが重要である。アメリカ人などは自分がどこにいるという事実をSNSなどに上げる傾向が強いが、これは自分がその場にいたことを証明するという意味もある。
 「OATSルール」はタイムビジネスを始めるきっかけとなった規則であり、米国における標準時刻の普及の契機となった。タイムビジネスの最初の頃には、二つの目標があった。一つ目は安全な社会を作るためにタイムスタンプをどのように普及させるのかであり、二つ目が正確な時刻をどうやって普及させるのかだった。その一つの考え方がこの「OATSルール」で、日本語に直訳すると「注文監視追跡システム」である。
 米国では株式等の電子的な取引をする際に、時刻を狂わせて利益を得ようとする者がたくさん出てきた。そこで米国標準時刻に合わせて、取引の時刻を証明するサービスを始めたのである。アメリカではタイムサービスを用いて証明書を取り寄せていないと、「疑義がある」と言われたときに正しいことを証明できない。これは自主ルールなのだが、それが証明できなければ莫大な賠償金を払わされるということが起こり得るために普及した。
 このルールによって米国と取引きのある世界中の証券取引所はすべてアメリカの標準時で動くことになった。要するにパックス・アメリカーナである。上海でも、ソウルでも、シンガポールでも、世界のネット上での取引きの80%が関与しているとも言われるアメリカと取引をする者は、すべてアメリカの標準時に合わせなければならない。そういうルールだ。アメリカではよく東海岸と西海岸とを結んでネットワークゲームを行うが、そこにはネットワークの遅延が発生するため遅延を補正するソフトを導入している。ゲームですら、アメリカではそうした厳密さを求める。時刻への要求が厳密であるということを認識していただきたい。

信頼できる社会基盤としてのネットワーク

 SOX法が制定された当時、データの原本性の証明が重要であるということをよく講演して回ったが、なかなか普及はしなかった。
 「信頼できる社会基盤としてのネットワーク」は、2003年頃、規制改革の案をタイムビジネス協議会で出して欲しいと要請されたときに作ったものだ。重要なのは「アイデンティティの5A」を重要視しようという提案だった。従来から3Aというものがあり、「認証」、「認可」「属性」の3つがそれに当たる。これに加えて「運営・管理」、「追跡・監査」を加えた「5つのA」を提案した。

図表:信頼できる社会基盤としてのネットワーク
出所:著者作成

増大するデータ量

 2000年になってから流通するデータ量が格段に増えた。その例としてYouTubeに1分間に投稿される動画の量を見ると、2007年当時は1分間に6時間程度だったものが、2008年や2009年に増加して「2010年には1分間に24時間になる」という話があり、驚いたものだが、2017年には約400時間(16.7日分)の投稿が1分間に行われている。1日に換算すると24000日分になる。したがってYouTubeで多くの視聴を集めて有名になるということが大変特殊な例であることが分かる。1日に視聴されている動画は10億時間だと言われている。10億時間は11万4155年であり、80歳を人の寿命だとすると、1462回生まれ変わらないと1日の視聴時間にとどかない量である。

百兆の詩篇

 アナログの素材についてはレイモン・クノーの『百兆の詩篇』という有名な例がある。これは1961年にフランスの前衛作家であるクノーが発表した紙メディアによるハイパーテキストの試みである。ソネット(14行で構成される詩)があり、それを10編(10ページ)作り、それらを1行ずつ短冊状に切る。この短冊を組み合わせて詩を作ると10の14条通りの読み方ができ、100兆の詩ができる。A.M.チューリングの単一マシンのみが他の書いたソネットを鑑賞することができるとすれば、1つのソネットを読むのに約45秒、ページをめくるのに約15秒、合わせて約1分がかかる。とすれば、毎日24時間・365日読み続けて1億9025万8751年かかる計算になる。

べき乗則に従う需要分布

 デジタル化によって格差ができるという話しをしたが、デジタルではべき乗則が重要な働きをする。アマゾンは公称300万冊に上る本を扱っている。実店舗には少数の売れ筋商品しか置かない。ロングテールは「死に筋」と呼ばれるもので、売れ筋が80%の売上を上げているのに対し、ロングテールは売上の20%しか相当しないと言われていた。この部分を扱っていると倒産をするので「死に筋」と呼ばれる部分である。
 ところが、この構造が2005年ぐらいからネット上では崩れ始めており、ロングテールの部分が40%を占めるようになってきた。当時『Wired』の編集長をしていたクリス・アンダーソンが本を書くために作った楽曲販売サイトの『ラプソディ』での出来事である。その経験に基づきクリス・アンダーソンは『ロングテール』いう本を書いた。
 ここで重要なのは「スケールフリー」という考え方である。売上高が大きい商品のみを扱っているのが百貨店などの大規模店舗である。ところが、そうした品揃えをする百貨店の売上を分析してみると、やはりヘッドとテールに分かれる。
そこで、そのうちの売れ筋のものだけを集めたらどうかという考え方が出てくる。それを例えばコンビニエンスストアだとすると、そのコンビニエンスストアの商品もやはり売上の80%を占める20%の商品と、それ以外の80%の商品とに分かれてくる。したがって、べき乗則は様々な応用が利く。残念ながら正規分布等とは異なり、理論は完全に構築されていないが、ネットワークがべき乗則のようなものに従うということは分かっている。
 べき乗則に従う現象には、大きな格差が存在している。2番手が1番手を脅かすことが容易ではない。2位は1位の2分の1、3位は1位の3分の1と、順位の逆数の実力しかないと言われていたりする。これを「ジップの法則」と呼んでいる。

ソーシャルなネットワークの威力とリスク

 ウィルスの伝播の仕方を追跡すると、ランダムな伝播に比べてソーシャルグラフを用いて伝播するとものすごい勢いで伝播することが判明している。それが分かったためにハブを潰していくことによってウィルスの伝播を防ぐことができるようになってきた。
 一方で、MITメディアラボ助教授のケヴィン・スラヴィンが次のように言っている。
 「自分と似た人とだけ言葉を交わしがちだというソーシャルメディアの特性があります。20世紀のマスメディア全盛期には、放送人たるものはできる限り多くの人に訴える言葉を見つけなければならない、という考え方がありました。でも、ソーシャルメディアはその逆で、似通った考えをもつ人々だけが集まる。人々を中心から引き離そうとする不思議な引力を持っているのです。」
 逆にジェームズ・スロウィッキーは、その著書『みんなの意見は案外正しい』の中で、集団の知恵を生み出す条件を「多様性」「独立性」「分散性」「集約性」に集約し、集団のもたらす知恵を語っている。
 そして、情報爆発を助長するシステムの存在がある。データ自身がデータを生み出し、またマッシュアップしたものが別のデータを生み出す。現状では、必要で正しいデータを選別するシステムは存在していないが、これは必要である。

グローバリゼーションと「6次の隔たり」

 それからグローバリゼーションの影響だが、オープン化、似通ったものの集合、「6次の隔たり」といった特性がある。似通ったものの集合に関しては、距離と属性が重要である。距離とはその人とどのぐらい離れているのか、モノとモノとの関係を表すのを距離と呼んでいる。単純に長さで表せるとは限らない。6次の隔たりが証明されたのは21世紀になってからだが、世界中の人と知合うのに5人仲介すればつながるのだと。フェイスブックで証明をした人がいて、そのときは4.7人ぐらいである。ちなみにフェイスブックの友達数の平均は130人程度でこれはロビン・ダンバーが提唱した「ダンバー数」の150にとほぼ合っている。